こんにちは、のの(@nonotki)です。
今回は、昨日の出来事を自分の記録用に残しておきたいと思います。
そのため、少し日記調になってしまうことをお許しください。
はじめに
私は双極性障害という躁状態とうつ状態を繰り返す病気を患っています。
そして私の夫はうつ病を患っています。
夫は仕事と人間関係の悩みから抑うつ症状を発症し、うつ病と診断されてからも2年ほどの間、仕事を頑張ってくれています。
しかし私はこれ以上、夫の心がすり減っていくのを黙って見ておくことができず、「仕事やめていいよ、というか、やめてください」と言いました。
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私は夫に「仕事辞めていいよ」と言った翌日から、激うつに陥りました。
「なんとかなる」と思いたい気持ちとそれでも湧いてくる「漠然とした将来への不安」で押し潰されそうになっていました。
自分でも驚くほどに、久しぶりに起きる体調の悪化やネガティブ思考についていけない状態でした。
しかし、「夫の心がすり減っていくのは我慢できないし、辞めて少しでも回復してからまた新しい職場で頑張ってもらいたい」という思いで、鬱々としている夫には自分の状態や本心を言えないまま過ごしていました。
ほどなくして、夫は職場の上司や先輩に「体調が思わしくないため辞めたい」と伝えました。
一昨日、そして昨日の出来事
一昨日、私は激うつの症状で1日ベッドから起き上がることができませんでした。
完全にオフの状態で、思考は停止、何もできない状態でした。
しかし、ネガティブな思考にも陥ることができない状態だったので、1日完全にオフになっていた状態から明けた昨日の朝は完全なる「躁状態」でした。

朝から「自分は何でもできる」気になっていたのです。
そして自分はそれを「軽い躁状態」と思い込み、「このままだったら躁の反動でうつになってしまうから少し家のことをするにもほどほどにしよう」と昨日を「洗濯や掃除はしない日」に設定しました。
しかし、「軽い躁状態」と思い込んでいたため、他のできることやりたいことに少しずつ手を出してしまっている状態でした。
ゆくゆくはライターとしてお金を稼げるようになりたい、とライティング実務士の検定講座を調べたり、家計の管理をするためにエクセルで家計簿をつけたいと始めてみたり…。
仕事から帰宅した夫に「あれもこれも!」と報告、相談しました。
すると鬱々としている夫から
「躁になってない?これまで躁状態で始めたことをうつ状態になって何も手につかなくなってやめるっていう繰り返しを見てきた。だから、ひとつずつやればいいんじゃない?」
と助言されました。
夫は至極真っ当な助言をしてくれました。
しかし、躁状態のわたしは「カチン」と来てしまったのです。
「少し元気になって少しやりたいことをしようとしてたら、それは躁なの?わたしは洗濯も掃除もしたかったけど、それをやるのは頑張りすぎだから抑えたのに…!」
と泣き喚きながら怒鳴ってしまいました。
そして、言わなくてもいいことをその勢いに任せていろいろと言ってしまい、夫に悲しい顔をさせてしまいました…。
そしてその直後に、言ってしまったことを後悔し、自分自身が嫌になり、余計に涙が止まらなくなってしまいました。
そして、感情が抑えきれずにまともに話すことができなかったので、夫に筆談で思いを伝えることにしました。
(文中の「たかちゃん」は夫の呼び名です。)
(関西弁で、とても汚い字、しかも不要紙の裏に書いており、とても読みにくいのですが、このままをブログに載せることで自分自身と向き合おうとしてます。すみません。)

「自分を受け入れる」ということ
”躁でもうつでも自分が自分じゃないみたい”
”受け入れるってどの自分がどの自分を受け入れればいいの?”
昨日の筆談した内容で、わたしが一番苦しかった言葉です。
いつもこのブログで寛解もできてないのに「うつで苦しんでいる人へ」と言葉を綴っています(本当に偉そうにすみません)が、言葉でいうのは簡単なのです。
「自分を受け入れる」ということも言葉でいうのは簡単です。
しかし、躁とうつの波を自分でコントロールできるまでに至っていない私は「どの自分を基準にどの自分を受け入れればいいのか」がわからず苦しんでいるのが現状です。
ただ、昨日わたしが裏紙に走り書きをした後、夫が言ってくれた言葉があります。
「自分がいまどの状態かを把握するだけで、あとは流れに身を任せたらいいんじゃない?躁状態にいるなら少し行動を抑えようとか、うつ状態にいるなら今日は何もせず休んでおこうとかできるし、あとは俺にもどの状態にいるかを言ってくれたら『やめといたら?』とかも言えるし。あんまり『受け入れる』って言葉に囚われずに、流れに身を任せようよ。」
わたしは「受け入れる」という言葉に囚われてたんだ、とその時ハッとしました。
わたしは、いまどの状態にいるかを把握して、それを夫にも伝えること、そしてその状態でできることを少しずつやっていくこと、それだけでいいのだと思えたんです。
いろんなことひっくるめて、それらも全て「わたし」。
それでいいじゃないか、ね、わたし。
おわりに
こんな言葉も夫に言われました。
「俺が鬱々としているのに引っ張られそうだったら、自分が元気でいようと無理するんじゃなくて俺に『あんたが鬱々としているのに引っ張られそうだから嫌だ』って言ってほしい。ただでさえ、俺は鈍感で気づかないことも多いのに、ののに本当の状態を言ってもらえなかったら、いつまでたってものののこと信用できない。」
この言葉を聞いて、「あぁわたしはなんて素敵な夫をもったんだろう」とつくづく思いました。
結婚4年目、付き合いだしてから9年目の今もこうやってわたしとコロコロ変わるわたしの感情にきちんと向き合ってくれる、素敵な夫に巡り合えて本当に良かったです。
(決して惚気ではありません!ただただ夫に感謝!)

ブリ猫。さんの著書「うつを甘くみてました」#おわりに にも「それをひっくるめて、私なのだ」という言葉があります。
「どの自分を基準にどの自分を受け入れればいいかわからない」と嘆くのではなく、「ぜーんぶひっくるめてわたしなのだ」と心から思えるよう、夫と二人三脚がんばっていきます。
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駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました!!
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